2015年04月24日

15周年を想う 〜おばあちゃんの思い出〜

私は物心ついた頃には、すでに「 おばあちゃんっ子」になっていた。

妹が年子で生まれ、母が乳飲み子の世話で大変だったこともあるだろう。

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おばあちゃんが近所の茶飲み友達の家に行く時も、買い物や勉強会にも、寝る時も、ほとんどいっしょ。
夜、お腹が痛くなってトイレに行く時も、おばあちゃんがついて来てくれた。

5歳になった春、銀行に勤めていた父が転勤になり、私たちも帯広から札幌に引っ越す事になった。
電車に乗る時、 おばあちゃんも 両親や妹と一緒に乗り込み、 私はウキウキしながら 車窓から見える風景を眺めていた。
ところが、おばあちゃんはなぜかあまり喋らず元気がなさそうに見えた。

そうして突然、 おばあちゃんは 次の駅で降りるという。

「なんで? なんで降りちゃうの?」 
「ばあちゃんは、ここまでしか乗れないんだよ。一緒に行けないの」

突然の事に、私は驚いた。
どうも、おばあちゃんは孫達との別れが辛くて、途中まで 一緒に 電車に乗って来てしまったのだ…。

思ってもいない出来事に私は涙も出なかった。ただ、呆然とおばあちゃんを窓から見送るばかりで…。

札幌に行ってからは友だちもでき、楽しい生活を送りながらも、私はおばあちゃんがいつか会いに来てくれはしないか…とばかり考えていた。
そして、よく夢を見た。夢の中でおばあちゃんがやってくる。「わーい!」と喜ぶと、夢だったんだ…とがっかりする。
そこでいつも目が覚めるのだった。

そんな夢を何度も見るうちに、ようやく本物のおばあちゃんがやって来た。それは、翌年の3月、私が小学校に入学する前だった。

すでに我が家には、おばあちゃんからの入学祝いの机とフランス人形が届いていた。 久しぶりに私は、おばあちゃんと枕を並べて眠る事ができたのだった。

それからは毎年、夏休みには帯広のおばあちゃんに会いに帰れるようになった。
父の弟にあたるおじさんが、「ばあちゃんは、ゆりちゃんとひろちゃん(妹)に早く会いたくて、到着するずっ〜と前から門の前に立って待ってたんだよ」という。
そして、「ゆりちゃんたちが札幌に行ってからのばあちゃんは、本当に可哀想だったよ。いつもちゃぶ台に、ふたりの茶碗と箸を並べて、ご飯食べながら涙こぼしてたんだよ」と教えてくれた。
私にはその光景が目に浮かんで、切なくなった。

夏休みの宿題の絵日記には、「私の大好きなおばあちゃん」と書く所で、「大」の字が1個では足りなくて3行くらい並べて書いたりした。

小学校5年の夏休みは、私が児童合唱団に入団したために帯広に行けなくなり、おばあちゃんが札幌に来てくれた。

ちょうどその頃、私は小児性ストロフルス(※1)にかかり、痒くて眠れない日々を送っていた。
一般には、小学校に上がると治るといわれていた病気だが、私は赤ちゃんの時から中学に上がるまで毎夏 この病気に悩まされ、病院通いや食事制限、強い痒みによる不眠で辛い日々を送っていた。

だから、その頃は夏が嫌いだったのかもしれない。 カイカイ( 小児性ストロフルス) にはなるし、 お岩さんのような怖い幽霊が出るし(映画を見てから夏に出ると想像)、嫌な季節だと思っていた。

小さい頃から心がけていた事、それは、私が夜、痒くて眠れない事を家族に悟られないようにすることだった。熟睡している家族を起こしたり心配をかけたくなかったので、あまりに痒くて寝られない時は、よく居間まで行って脚をバタバタさせていたものだ。

ところが、その夏は違った。おばあちゃんが隣に寝ていて、ウチワで扇いでくれる。心地良い風が当たると、かゆみも少しは治まって寝付きやすくなるのだった。
朝、目を覚ますと、おばあちゃんがウチワを持ったまま、肘枕をついたままで眠っていたので、有り難いやらびっくりするやらで胸が熱くなった。

この、ただ愛するという無償の姿を、おばあちゃんは体の温もりで体感させてくれたのだと思う。

それからも、私の大変な時にはいつもおばあちゃんが帯広から駆けつけてくれて、励まし慰めてくれたものだ。
初めての高校受験や、胆嚢炎になって通院していた頃も、感謝の気持ちの大切さや、祈りの尊さの事など、深く高く広く教えてくれたと思う。

「笑うと、卵6個分の栄養があるんだよ」

「道を歩く時は、楽しいうれしい有り難い、、、と思って歩くと、災いを寄せ付けないんだよ」

「お父さん、お母さんや家族。 ご先祖さまや親戚。 お友達や先生、周りの人に感謝して生きる事が大切だよ。天地いっさいのもの、生きとし生けるものに感謝して祈る事…」

後に出会うことになる感性論哲学創始者の芳村思風先生の哲学と、おばあちゃんの教えがとても共通していて、私はとてもうれしかったものだ。

おばあちゃんは、2000年1月28日、ちょうど私の誕生日の前日に亡くなった。96歳だった。

この年の7月に長野県女神山でコクーンが誕生した。きっと、天国のおばあちゃんが応援してくれたのだろう。
裕子ちゃんの息子、ひかるちゃんも。

おばあちゃんが召された時、その思いをいつか歌にしたいと思った。
その思いが、裕子ちゃんのおばあちゃんへの思いと結実して 「おばあちゃんの子守歌」になった。

そして、その年の10月末、今は亡き萩尾たまちゃんたちのご尽力により初めてのコクーン・コンサートが女神山で開かれた。

その翌日、東京に帰って来てもうれしくて眠れない時に、ふっ〜とできた歌が、 「愛があふれて」だった。
もう午前零時を過ぎていて、 ちょうどおばあちゃんの誕生日、10月30日になっていた。

歌や踊りが大好きだったおばあちゃん、アンパンが大好きだったおばあちゃん、いつも笑顔がぽちゃぽちゃしていたおばあちゃん。

私はおばあちゃんの孫に生まれて、とっても幸せです。

おばあちゃん、ありがとう。

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祖父母の結婚式の写真。
堀キクと堀外喜雄(ときお)
北海道・中富良野のりんご園の次女と、金沢から来た総理府地方事務官との結婚式。祖父は50歳で帰天したので会ったことはない。

(※1) 小児性ストロフルス: 虫刺されの後に起こることが多く、現在では虫毒に対する過敏反応(アレルギー反応)と考えられているが、当時は乳製品が原因と言われていた。


水月悠里加


☆おばあちゃんの子守歌(試聴)
https://soundcloud.com/yy-cocoon/4umjqt1smsk6

☆愛があふれて(試聴)
https://soundcloud.com/yy-cocoon/ai-ga-afurete

☆コクーン15周年記念コンサート&パーティー開催のお知らせ
http://www.yy-cocoon.com/

posted by cocoon at 19:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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