2011年07月07日

東北の旅(1) 〜鎮魂のコンサート〜

7月2日の夜、9時20分にマネージャーのアメちゃんと裕子ちゃんが家まで迎えに来てくれた。すでに車内は、支援物資に楽器や音響機材でいっぱいだ。

運転席にアメちゃん、助手席に裕子ちゃん、その後ろに私が乗り、そのまた後ろに明美ちゃんが乗る予定だ。10時に代々木へ迎えに行くと、明美ちゃんが手を振って待っていた。アメちゃんは昼間、社会福祉協議会の所長さんだ。仕事を終えて今度は東北へと夜通し車を運転する。(私たち女性は三人とも運転ができないので、本当に申し訳ない)

途中で何回か休憩するのだが、車内は手足を伸ばせないくらい狭い。体を伸ばして眠れる事はなんと有り難い事なのだろうと、今更ながらに思った。きっと、みんなほとんど眠れなかったと思う。運転するアメちゃんは、一番大変だ。

朝6時過ぎに、途中のコンビニによってサンドイッチやコーヒーを買った。コンビニの壁には、手書きで「ボランティアのみなさん、ありがとうございます。ご支援をありがとうございます。つながってくれてありがとう!」と書いた張り紙があった。

そうして、朝7時半には陸前高田の港近くを走っていた。山側には家があるのだが、海側には、・・・何にもない。本当に何もない。これ以上はつぶれないくらいにグシャグシャにつぶれた車が並んでいる。または、山積みになっている。折れた電柱が転がっている。屋根だけ埋もれている。

そのうち、何棟も並ぶ団地の横を通った。見上げると、6階建てはあろうかという高さの団地。最上階以外は、真っ黒な穴のように空いている。所々にカーテンだったであろう布が巻きついて風にたなびいていた。あの高さまで津波が来たのかと思うと、からだが凍りついた。

そのうち、気になる樹木が見えてきた。まさに生木を裂かれたという痛々しい姿。本当だったら今頃は青々とした葉っぱを茂らせていただろうに…と思っていたら、アメちゃんが車を止めた。「ここは駅だったんじゃないかな? 線路が見える」という。

駅の樹木 陸前高田の線路

見に行くと、赤く錆びた線路が埋まっている。途中で切れているようだ。駅舎があったはずの建物は跡形も無く消えて、コンクリートの基礎だけが残ってた。(ここはトイレ? そして、ここは待合室?)

樹木とアメちゃんの車

きっと、あの木は、駅に行き来する人たちに豊かな葉影を作っていただろうに。

廻りを見渡すと、コンクリートの建物だけが、ぽつんぽつんと立っていて、巨大な墓石のようだ。これが、廃墟というものか。灰色の世界、色のない世界。驚きで涙も出ない。胸が苦しくなって、息が詰まってきた。

そのなかで、デパートの青い看板「MAIYA」だけが目立っていた。外階段を上ってこの屋上に逃げた人だけが助かったのだと後で知った。

青いデパートの看板の光景 陸前高田の商店街だった廃墟

私は、「この後、避難所で歌うんだから気をしっかり保たなきゃ!」と、ショックを振り払うようにして車に戻った。

陸前高田第一中学校に着いたのは8時。山の高台にあった。玄関の両脇には、大型洗濯機と乾燥機が2台ずつ置いてあり、横の物干し台には、赤ちゃんのよだれかけと抱っこベルトが干してあった。

きれいな白髪のご夫人が出迎えながら、「遠いところからよく来てくれたな」とねぎらってくれた。「多い時には1200人もいたんだが、みんな仮設に移ってしまって、ずいぶん少なくなったよ」

体育館の中は、段ボール紙の仕切りで囲まれたスペースが所狭しと並び、横になって休んでいる人、お茶を飲んでいる人も見受けられる。舞台の両脇には、52インチのテレビが2台、ずっとついていた。私たちは、みなさんの邪魔にならないようそっと機材を舞台に運んだ。

11時に、枇杷灸の優子ちゃんがお弁当を持って来てくれた。(あけみちゃんワークの岩手の主催者さんだ。会場や宿の手配などずいぶんお世話になった)
そして、7月1日に演奏を体験させていただいたクリスタルボールの伊藤真奈&ひろ夫妻も到着した。いよいよ初めてのコラボが始まる。

午後1時、あけみちゃんが生まれ故郷の岩手や新日鉄釜石で働いていた父のことを話し、「存在」を朗読した。そのあと、コクーンの「存在」の歌で始まり、「おばあちゃんの子守り歌」「ごめんね」と続き、「傷だらけのエンジェル」を歌った時だった。

どこからともなく一羽のツバメが啼きながら入って来て、私たちの頭上高く8の字に旋回した。「もしかしたら、裕子ちゃんの息子のひかるちゃん?」いつのまにか消えてしまったが、巣がどこにも見当たらなかった。このとき、裕子ちゃんも、あけみちゃん、真奈ちゃんも、同じ事を思ったのだと言う。あけみちゃんが、「ひかるちゃんが、みんなを引き連れて来てくれたね」と言った。きっと311に幼くして亡くなった子供たちの魂も一緒だったのかな。

舞台から見ると、段ボールの隙間から、正座して聴いているおばあちゃん、横になって聴いている男性、ヨチヨチ歩きのお孫さんを抱っこしているおじいちゃんが見えた。そばには、赤いバイク型の三輪車があった。

コクーンの次は、クリスタルボールの伊藤真奈&ひろ夫妻の登場だ。私はそっと舞台を離れて、段ボールの横のスペースに座った。お二人の演奏は、うっとりと気持ちよく、天上の音楽に包まれるようだった。旅の疲れもほぐれて溶けていくようだ。前回聴いた時とはまた違う。全てのものの浄化を祈るような祝福の響きだった。

舞台の前には、コクーンのアルバムと『ゆめたまご詩歌集』、明美ちゃんの『もどっておいで、私の元気』『私に帰る旅』、松山のかずちゃんから送られた基礎化粧品セットなどが並べられ、みなさんが喜んでもらってくださった。

「妹の分もいいかな?」「近所のお友達にもいい?」と、みなさん優しい方ばかりだ。裕子ちゃんが、「おじいちゃんがそっと手を伸ばして、娘にいいですか?と言ったの〜」と嬉しそうに教えてくれた。

アルバムや詩歌集にサインをしていると、みなさんがぽつぽつと話してくださった。

「50年かけてきたものが、いっぺんに何もかも無くなった。仙台に住む息子や孫が来いというけれど、私はここを離れたくないんだ。」

「こないだ友達に、『ご主人は元気?』と聞いたら『津波で…』と言われて。この辺の人は怖くて家族の事を聞けないんだよ。」

「何十年も一緒に側に住んでいた仲良しが、仮設に移ってばらばらになっちゃうの。神戸の体験で、仲良し同士が一緒に仮設に住めると思っていたのに、全然違ってたんだよ。もう、どうしたらいいんだか…。寂しくて寂しくてね。これからは、年に一回会えるかどうかだね」

優子ちゃんも教えてくれた。
「伯父の一家は、津波で5人全員さらわれたんです」
「消防団の人が、家族に『ここは大丈夫だから、ここを離れるなよ』と言って仕事から戻って来たら、家族全員が津波にさらわれていたんです」

中でも、胸が痛くなったのは孝行息子さんの話だ。足の不自由な母親を背負って高台に逃げようとしていたら、水が1メートルくらいに迫って、すぐ後ろまで津波が来た。その時に、母親が息子を前に突き飛ばして助け、自分は津波にのまれていったという。このような話が、たくさんあるという。

帰る頃に、クリスタルボールの真奈さんが、「今日は、からだの無い方達がいっぱい入らしてくださって、満員でしたね。今日は、鎮魂のコンサートになりましたね」

鎮魂のコンサート…。今回の東北ツアーは、本当にその為だったのかもしれない。

外が賑やかになって来たので見に行くと、「チャグチャグ馬コ」の方たちが! まばゆいばかりの錦の馬具で着飾った馬たちが、可愛い子供を乗せて行進していた。避難所の老若男女のうれしそうな笑顔がそれを囲む。その光景に、希望の光を見るようだった。

ちゃぐちゃぐ馬っこ(1) ちゃぐちゃぐ馬っこ(2)

ちゃぐちゃぐ馬っこ(3)  ちゃぐちゃぐ馬っこ(4)

※チャグチャグ馬コ(ちゃぐちゃぐうまっこ):岩手県岩手郡滝沢村と盛岡市において毎年6月の第二土曜日に実施される祭り。チャグチャグ馬コの鈴の音は、1996年に環境省(当時は環境庁)の「残したい日本の音風景」に選出された。


水月悠里加


posted by cocoon at 23:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。